佐太神社
神社名 | 佐太神社 |
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祭神 | (正殿) 佐太大神(さだのおおかみ) 伊弉諸尊(いざなぎのみこと) 伊弉冉尊(いざなみのみこと) 速玉男命(はやたまおのみこと) 事解男命(ことさかおのみこと) (北殿) 天照大神(あまてらすおおかみ) 瓊々杵尊(ににぎのみこと) (南殿) 素盞鳴尊(すさのおのみこと) 秘説四柱の神 |
所在地 | 島根県松江市鹿島町佐陀宮内73 |
佐太神社は松江市の北、鹿島町佐陀宮内に鎮座する出雲二宮である。出雲国風土記に佐太大神社、あるいは佐太御子社ともあり、大社造りの本殿が三殿並立する。 このような社殿構えが成立したのは中世の末ごろであったようである。現在の御社殿は文化年間の造営であるが、その様式は元亀(げんき)年間に造営されたものを踏襲してきたもののようである。現在は国・県の指定する文化財も多数有している。 三殿に十二柱を祀るが、主神佐太大神(さだのおおかみ)=猿田毘古(さるたひこ)大神は日本海に面した加賀の潜戸(かかのくけど)で御誕生され、導きの神、道開の神、交通・海上安全、長寿の神として信仰れている。 祭りの主なものは、5月3日の猿田三番ノ舞(さださんばんのまい)が獅子舞をおこなう直会(なおらい)祭。 9月24日の御座替(ござかえ)祭、25日の例祭には、ユネスコ無形文化遺産、国の重要無形文化財に指定されている佐陀神能(さだしんのう)を演舞する。11月20日から25日まで八百万神が集う神在祭がある。この祭には神々の参集の先触として龍蛇(りゅうじゃ)が現れるということがある。これは火難、水難をはじめ一切の災厄を除き、豊作、商売、魚漁を守護する霊物として信仰されている。
●バス
JR松江駅より一畑バス恵曇行き約25分「佐太神社前」下車すぐ
●車
JR松江駅よりタクシーで約20分
●駐車場情報
大型バスなら10台駐車可
佐太神社は、一畑電車松江しんじ湖温泉駅から、宍道湖を背にして概ね北西方面に向かい車で十分ばかりのところにあります、途中松江高専を通過して右手に大きくカーブする辺りにあります。そのまま進むと恵曇漁港・古浦に行き着きます。
佐太神社は、本殿を始め舞殿等の社殿の修復が始まっており、平成二十八年の正遷座祭に向けて御造営が進められています。
佐太神社には、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が古事記(和銅五年〔七一二〕)にある黄泉の国から帰り身を清めたと言う「身澄池」が旧県道付近にあり、伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀る「御神陵」とされる「母儀人基社(はぎのひともとしゃ」が神社背面の三笠山中腹にあります。イザナギの尊の「身澄池」は、江戸中期に宍道湖の氾濫を防ぐため宍道湖から鹿島町恵曇漁港までの「佐陀川」開削により、それ以前は亀も泳ぐ池だったと伝わりますが、その後県道拡幅工事もあり、今は、旧県道わきに、「佐陀川の開削に尽力した清原太兵衛」の銅像の横に枯れ山水の形で残されています。このイザナミの尊の御神陵はその昔比婆山の神陵を遷し祀った社と言われ、「伊弉冉社(いざなみのやしろ)」として信仰されています。旧暦十月神在り月は、この母神である伊弉冉尊を偲んで八百万の神々が集まられるので、佐太神社は「神在の社」(かみありのやしろ)とも呼ばれています。
イザナギの尊が身を清めたと言う「身澄池」が禊の原点で、『古事記』において、イザナミの尊の死後、スサノヲの尊の誕生までに誕生した神々の柱数が四十二柱であり、神在り祭に集う神々が浦巡りしたことにちなみ、四十二浦巡り信仰が発生したのではないかとの研究があります。
佐太神社で毎年十一月末に神在祭が行われるときに、各家で作って食べたものが「神在餅(じんざいもち)」であり、ぜんざいは出雲国が発祥とされています。境内の喫茶店「佐陀乃だんだん家」では、簡単な定食のほかに「おすましで岩海苔の入った」ぜんざいを食することも出来ます。
ところで、県道沿いの佐陀川にかかる橋の佐太神社側を北に少し行くと境外社の田中神社があり、ここは全国でも珍しい「縁切り」の神社です。男女の悪縁をはじめなかなか断ち切れない様々な悪縁を除くため、参拝、御祈念に訪れる方が多数あると聞きます。神楽にも「悪切り」と云う演目があり、どうにもならない時の神頼みと言いますが、古くて新しい人生に寄り沿う祭神伝説に深く感じるものです。
佐太神社の神事舞として伝わる「佐陀神能」は、平成二十三年に人類が共有すべき文化遺産であるとして、「ユネスコ無形文化遺産リスト」に登録されました。佐陀神能は、毎年九月二五日に行われる茣蓙替祭等の日に夜八時頃から十一時頃まで境内舞殿で奉納されます。神社南側の鹿島歴史民俗資料館では、何時でもそのビデオを見ることが出来ます。また、同資料館二階には、中国の小説家魯迅に師事し、著作物の翻訳紹介に尽力した鹿島町出身の「増田渉」の資料が多数あり、手にとって読むことが出来ます。
当社は出雲国風土記に佐太大神社、あるいは佐太御子社と記されている古い神社である。
当社は出雲国風土記に佐太大神社、あるいは佐太御子社と記されている古い神社である。本殿、直会(なおらい)殿、舞殿、神門、および数宇の摂末社(せつまつしゃ)などの建造物を有している。 祭神は、正殿に佐太大神(さだおおかみ)、伊弉諸尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)。 北殿に天照大神(あまてらすおおかみ)、瓊々杵尊(ににぎのみこと)。南殿に素盞鳴尊(すさのおのみこと)、秘説四柱の神が祀られている。 主神の佐太大神は、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)で、出雲国風土記によると加賀(かが)の潜戸(くけど)に御誕生になり、古くから導きの神、道開きの神、福の神、長寿の神、交通・海上守護の神、地鎮の神として信仰されてきた。 清和(せいわ)天皇貞観(じょうがん)年中従四位下に叙され、後鳥羽院の時代には神領七千貫・神主社僧二百二十四人と定められていたという。延喜式(えんぎしき)には佐陀大社と記され、出雲二宮と仰がれていた。
神社名 | 佐太神社 |
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祭神 | (正殿) 佐太大神(さだのおおかみ) 伊弉諸尊(いざなぎのみこと) 伊弉冉尊(いざなみのみこと) 速玉男命(はやたまおのみこと) 事解男命(ことさかおのみこと) (北殿) 天照大神(あまてらすおおかみ) 瓊々杵尊(ににぎのみこと) (南殿) 素盞鳴尊(すさのおのみこと) 秘説四柱の神 |
所在地 | 島根県松江市鹿島町佐陀宮内73 |
佐太神社は松江市の北、鹿島町佐陀宮内に鎮座する出雲二宮である。出雲国風土記に佐太大神社、あるいは佐太御子社ともあり、大社造りの本殿が三殿並立する。 このような社殿構えが成立したのは中世の末ごろであったようである。現在の御社殿は文化年間の造営であるが、その様式は元亀(げんき)年間に造営されたものを踏襲してきたもののようである。現在は国・県の指定する文化財も多数有している。 三殿に十二柱を祀るが、主神佐太大神(さだのおおかみ)=猿田毘古(さるたひこ)大神は日本海に面した加賀の潜戸(かかのくけど)で御誕生され、導きの神、道開の神、交通・海上安全、長寿の神として信仰れている。 祭りの主なものは、5月3日の猿田三番ノ舞(さださんばんのまい)が獅子舞をおこなう直会(なおらい)祭。 9月24日の御座替(ござかえ)祭、25日の例祭には、ユネスコ無形文化遺産、国の重要無形文化財に指定されている佐陀神能(さだしんのう)を演舞する。11月20日から25日まで八百万神が集う神在祭がある。この祭には神々の参集の先触として龍蛇(りゅうじゃ)が現れるということがある。これは火難、水難をはじめ一切の災厄を除き、豊作、商売、魚漁を守護する霊物として信仰されている。
佐太神社は、一畑電車松江しんじ湖温泉駅から、宍道湖を背にして概ね北西方面に向かい車で十分ばかりのところにあります、途中松江高専を通過して右手に大きくカーブする辺りにあります。そのまま進むと恵曇漁港・古浦に行き着きます。
佐太神社は、本殿を始め舞殿等の社殿の修復が始まっており、平成二十八年の正遷座祭に向けて御造営が進められています。
佐太神社には、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が古事記(和銅五年〔七一二〕)にある黄泉の国から帰り身を清めたと言う「身澄池」が旧県道付近にあり、伊弉冉尊(いざなみのみこと)を祀る「御神陵」とされる「母儀人基社(はぎのひともとしゃ」が神社背面の三笠山中腹にあります。イザナギの尊の「身澄池」は、江戸中期に宍道湖の氾濫を防ぐため宍道湖から鹿島町恵曇漁港までの「佐陀川」開削により、それ以前は亀も泳ぐ池だったと伝わりますが、その後県道拡幅工事もあり、今は、旧県道わきに、「佐陀川の開削に尽力した清原太兵衛」の銅像の横に枯れ山水の形で残されています。このイザナミの尊の御神陵はその昔比婆山の神陵を遷し祀った社と言われ、「伊弉冉社(いざなみのやしろ)」として信仰されています。旧暦十月神在り月は、この母神である伊弉冉尊を偲んで八百万の神々が集まられるので、佐太神社は「神在の社」(かみありのやしろ)とも呼ばれています。
イザナギの尊が身を清めたと言う「身澄池」が禊の原点で、『古事記』において、イザナミの尊の死後、スサノヲの尊の誕生までに誕生した神々の柱数が四十二柱であり、神在り祭に集う神々が浦巡りしたことにちなみ、四十二浦巡り信仰が発生したのではないかとの研究があります。
佐太神社で毎年十一月末に神在祭が行われるときに、各家で作って食べたものが「神在餅(じんざいもち)」であり、ぜんざいは出雲国が発祥とされています。境内の喫茶店「佐陀乃だんだん家」では、簡単な定食のほかに「おすましで岩海苔の入った」ぜんざいを食することも出来ます。
ところで、県道沿いの佐陀川にかかる橋の佐太神社側を北に少し行くと境外社の田中神社があり、ここは全国でも珍しい「縁切り」の神社です。男女の悪縁をはじめなかなか断ち切れない様々な悪縁を除くため、参拝、御祈念に訪れる方が多数あると聞きます。神楽にも「悪切り」と云う演目があり、どうにもならない時の神頼みと言いますが、古くて新しい人生に寄り沿う祭神伝説に深く感じるものです。
佐太神社の神事舞として伝わる「佐陀神能」は、平成二十三年に人類が共有すべき文化遺産であるとして、「ユネスコ無形文化遺産リスト」に登録されました。佐陀神能は、毎年九月二五日に行われる茣蓙替祭等の日に夜八時頃から十一時頃まで境内舞殿で奉納されます。神社南側の鹿島歴史民俗資料館では、何時でもそのビデオを見ることが出来ます。また、同資料館二階には、中国の小説家魯迅に師事し、著作物の翻訳紹介に尽力した鹿島町出身の「増田渉」の資料が多数あり、手にとって読むことが出来ます。
当社は出雲国風土記に佐太大神社、あるいは佐太御子社と記されている古い神社である。
当社は出雲国風土記に佐太大神社、あるいは佐太御子社と記されている古い神社である。本殿、直会(なおらい)殿、舞殿、神門、および数宇の摂末社(せつまつしゃ)などの建造物を有している。 祭神は、正殿に佐太大神(さだおおかみ)、伊弉諸尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、速玉男命(はやたまおのみこと)、事解男命(ことさかおのみこと)。 北殿に天照大神(あまてらすおおかみ)、瓊々杵尊(ににぎのみこと)。南殿に素盞鳴尊(すさのおのみこと)、秘説四柱の神が祀られている。 主神の佐太大神は、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)で、出雲国風土記によると加賀(かが)の潜戸(くけど)に御誕生になり、古くから導きの神、道開きの神、福の神、長寿の神、交通・海上守護の神、地鎮の神として信仰されてきた。 清和(せいわ)天皇貞観(じょうがん)年中従四位下に叙され、後鳥羽院の時代には神領七千貫・神主社僧二百二十四人と定められていたという。延喜式(えんぎしき)には佐陀大社と記され、出雲二宮と仰がれていた。