鵜峠浦

浦名 鵜峠浦(うどうら)
神社名 【旧社名】大歳大明神【現社名】大宮神社
祭神 級長津彦 級長津姫
所在地 出雲市大社町鵜峠中道
鵜峠浦
鵜峠浦

(周辺環境)

神社は、海岸近くの集落の中心の石段を上がった上にあり見逃しそうになります。神社の拝殿には、北前船のまだ青色が鮮明に残る絵馬が印象に残ります。また、少し離れたところにある山の神様も大切に管理されています。

鵜峠はその昔鷺浦と同様に山中には銅山の坑口が残されており、付近の川には銅の金気を思わせる赤い水が流れており中和処置を今も続けられています。
 龍の山という尾根に山境の石杭が立ててありますが、西側が鷺浦地区、東側が鵜峠地区となっています。港辺りから南の山を眺めて西側のやや低い山を西龍と言い、その西側一帯が元鷺銅山である。石見銀山より遥か昔に銅が掘られていたとのことですが、出雲地方にたくさん出土した銅剣や銅鐸の銅はここで掘られたものではないかと言われています。

東側に鵜峠鉱山がある。鷺銅山の採掘量が落ちて鵜峠鉱山が開発され、この地域の採掘は昭和四五年まで続いたと言われています。鵜峠と鷺浦の中間に鵜鷺小学校だったところに鵜鷺コミセンがあり、その二階には、太平洋戦争の記録、北前船、鉱山の記録、昭和の生活用品など民俗資料が展示・保管されています。当時の海軍戦闘機ゼロ戦・一式陸攻の写真や壊れた部品等は戦いの跡を物語る生々しいものでした。

鵜峠浦

江戸時代享保年間の『雲陽誌』には「大歳明神」と「大宮大明神」が並んで表記されている

鵜峠浦

江戸時代享保年間の『雲陽誌』には「大歳明神」と「大宮大明神」が並んで表記されている。もともと別の神社であったのが、「大歳(大)明神」は現在大宮神社に合祀されたのであろう。「大歳明神」の旧社地は今のところ確認できない。今後の聞き取り調査、字名の現地確認、神社差出帳の検討などで探求可能と思われる。

大宮神社の祭神は「級長津彦神」「級長津姫神」である。「級長」は「しなが」は風のことで風神のことである。日本海の北西からの風、また航海安全の守護神として祭られたのであろう。(関 和彦)

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浦名 鵜峠浦(うどうら)
神社名 【旧社名】大歳大明神【現社名】大宮神社
祭神 級長津彦 級長津姫
所在地 出雲市大社町鵜峠中道
現地までのアクセス
浦巡りガイド

(周辺環境)

神社は、海岸近くの集落の中心の石段を上がった上にあり見逃しそうになります。神社の拝殿には、北前船のまだ青色が鮮明に残る絵馬が印象に残ります。また、少し離れたところにある山の神様も大切に管理されています。

鵜峠はその昔鷺浦と同様に山中には銅山の坑口が残されており、付近の川には銅の金気を思わせる赤い水が流れており中和処置を今も続けられています。
 龍の山という尾根に山境の石杭が立ててありますが、西側が鷺浦地区、東側が鵜峠地区となっています。港辺りから南の山を眺めて西側のやや低い山を西龍と言い、その西側一帯が元鷺銅山である。石見銀山より遥か昔に銅が掘られていたとのことですが、出雲地方にたくさん出土した銅剣や銅鐸の銅はここで掘られたものではないかと言われています。

東側に鵜峠鉱山がある。鷺銅山の採掘量が落ちて鵜峠鉱山が開発され、この地域の採掘は昭和四五年まで続いたと言われています。鵜峠と鷺浦の中間に鵜鷺小学校だったところに鵜鷺コミセンがあり、その二階には、太平洋戦争の記録、北前船、鉱山の記録、昭和の生活用品など民俗資料が展示・保管されています。当時の海軍戦闘機ゼロ戦・一式陸攻の写真や壊れた部品等は戦いの跡を物語る生々しいものでした。

江戸時代享保年間の『雲陽誌』には「大歳明神」と「大宮大明神」が並んで表記されている

江戸時代享保年間の『雲陽誌』には「大歳明神」と「大宮大明神」が並んで表記されている。もともと別の神社であったのが、「大歳(大)明神」は現在大宮神社に合祀されたのであろう。「大歳明神」の旧社地は今のところ確認できない。今後の聞き取り調査、字名の現地確認、神社差出帳の検討などで探求可能と思われる。

大宮神社の祭神は「級長津彦神」「級長津姫神」である。「級長」は「しなが」は風のことで風神のことである。日本海の北西からの風、また航海安全の守護神として祭られたのであろう。(関 和彦)