美保関

浦名 美保関(みほのせき)
神社名 美保神社
祭神 事代主神
三穂津姫命
所在地 松江市美保関町美保関608

三保関美保大明神  
真帆(まほ)に行(ゆ)く 舟(ふね)もほのかに美保津(みほつ)姫(ひめ)
                守(まも)り給(たま)えや 行末(ゆくすえ)の空(そら)

美保神社

美保関コミュニティバス

美保関線万原タ-ミナル乗車 →(28分)美保神社入り口下車 徒歩2分

 

12.3諸手船神事

美保神社の代表的な祭礼は、四月七日の青柴垣(あおふしがき)神事、十二月三日の諸手船(もろたぶね)神事です。

 四月七日の青柴垣神事は、国譲り神話にちなむ祭事で、大国主神(だいこく様)から相談を受けた祭神の事代主神(えびす様)が国譲りを提案された後、美保関の海に乗ってきた船を踏み傾けて身を隠され、そのあと神に再生されて美保神社(高天原)に神々を引率して巡行されると言うものです。いったん亡くなったものがまた再生すると言うのもなにやら哲学的様相を帯びています。港から美保神社への再生の巡行の様子も、甲冑で身を固め鉾を持った人が警護しており、一体どんな敵から守っているのか、興味は尽きません。

五月五日の神迎え神事は美保関灯台の沖の御前・地の御前、事代主神が魚釣りをされていたという二つの島から、美保神社本殿の御前へ迎える神事ですが、この神事は夜中に行われ、取材が出来ないのでどんな様子かは分かりません。

十二月三日の諸手船神事は、大国主神(だいこく様)が事代主神(えびす様)に国譲りの相談をするという場面になるわけですが、港の美保神社側から対岸にある出雲大社の御祭神大国主神をお祀りする客人神社の下まで一八人の舵子が二艘に分かれて激しく海水を掛け合いながら往復するというものです。見どころは宮司と頭人が着岸したところで問答の後に交わす、相拍手で、「一本締め」、「三本締め」等の手締めのルーツと言われています。

美保の神は鳴り物が好きだと言うことからすべては公開されていませんが、昨年古代出雲歴史博物館で展示された三台の「月琴」は、中国の楽器ですが、どんな楽曲を奏でたのか、美保の海に月が昇り、大山がうっすら見える辺りでこの楽器を奏でる情景は、日本風ではないかもしれません。
 美保神社宝物館には出雲琴などの古い和楽器が850点以上、日本最古のオルゴールも奉納されています。

美保関灯台付近には、ご飯類も提供する灯台観光ビュッフェがあります。何といっても地の御前・沖の御前島遥拝の鳥居があり、隠岐の島へ向かうフェリ-・高速船などが走っていく光景を見ながら食事をするのは格別です。

青柴垣神事 事代主神

「西に神社」の神社とは美保神社である

美保神社本殿背面の側溝の亀

「美保」については『出雲国風土記』に「美保の浜 広さ一百六十歩なり。西に神社あり。北に百姓の家あり」とみえ、現在の美保関の状況と土地利用は余り変化ないようである。尚、「みほ」の漢字表記は「三保」「美穂」「三穂」「御大」がある。

「西に神社」の神社とは美保神社である。『延喜式』式内社である。社格順とされる『出雲国風土記』では島根郡式内社の中で一番最後に名をみせるが、実はその部分は『出雲国風土記』では欠落しており、参拝順の『延喜式』をもって復元されていることが判明している。国譲り神話で重要な舞台になる「ミホ」の地に鎮座の美保神社は島根郡の筆頭社と考えて間違いないであろう。

社殿は二殿並立の美保造、祭神は事代主命と美穂津姫命であるが、本来は『出雲国風土記』にみえる大国主神と高志系の奴奈宜波比売との間に生まれた御穂須須美命、一神であったと思われる。後に特に近世になり記紀神話の国譲神話の神々が新たな祭神として登場したのであろう。美保神社をとりまく境内外の関係諸社も参拝したいところである。尚、国譲神話に因む青柴垣神事・諸手船神事は特に有名である。(関 和彦)

美保関灯台付近の遥拝所
191
浦名 美保関(みほのせき)
神社名 美保神社
祭神 事代主神
三穂津姫命
所在地 松江市美保関町美保関608

三保関美保大明神  
真帆(まほ)に行(ゆ)く 舟(ふね)もほのかに美保津(みほつ)姫(ひめ)
                守(まも)り給(たま)えや 行末(ゆくすえ)の空(そら)

現地までのアクセス
浦巡りガイド

美保神社の代表的な祭礼は、四月七日の青柴垣(あおふしがき)神事、十二月三日の諸手船(もろたぶね)神事です。

 四月七日の青柴垣神事は、国譲り神話にちなむ祭事で、大国主神(だいこく様)から相談を受けた祭神の事代主神(えびす様)が国譲りを提案された後、美保関の海に乗ってきた船を踏み傾けて身を隠され、そのあと神に再生されて美保神社(高天原)に神々を引率して巡行されると言うものです。いったん亡くなったものがまた再生すると言うのもなにやら哲学的様相を帯びています。港から美保神社への再生の巡行の様子も、甲冑で身を固め鉾を持った人が警護しており、一体どんな敵から守っているのか、興味は尽きません。

五月五日の神迎え神事は美保関灯台の沖の御前・地の御前、事代主神が魚釣りをされていたという二つの島から、美保神社本殿の御前へ迎える神事ですが、この神事は夜中に行われ、取材が出来ないのでどんな様子かは分かりません。

十二月三日の諸手船神事は、大国主神(だいこく様)が事代主神(えびす様)に国譲りの相談をするという場面になるわけですが、港の美保神社側から対岸にある出雲大社の御祭神大国主神をお祀りする客人神社の下まで一八人の舵子が二艘に分かれて激しく海水を掛け合いながら往復するというものです。見どころは宮司と頭人が着岸したところで問答の後に交わす、相拍手で、「一本締め」、「三本締め」等の手締めのルーツと言われています。

美保の神は鳴り物が好きだと言うことからすべては公開されていませんが、昨年古代出雲歴史博物館で展示された三台の「月琴」は、中国の楽器ですが、どんな楽曲を奏でたのか、美保の海に月が昇り、大山がうっすら見える辺りでこの楽器を奏でる情景は、日本風ではないかもしれません。
 美保神社宝物館には出雲琴などの古い和楽器が850点以上、日本最古のオルゴールも奉納されています。

美保関灯台付近には、ご飯類も提供する灯台観光ビュッフェがあります。何といっても地の御前・沖の御前島遥拝の鳥居があり、隠岐の島へ向かうフェリ-・高速船などが走っていく光景を見ながら食事をするのは格別です。

ENGLISH PAGE
美保神社
12.3諸手船神事
青柴垣神事 事代主神
美保神社本殿背面の側溝の亀
美保関灯台付近の遥拝所

「西に神社」の神社とは美保神社である

「美保」については『出雲国風土記』に「美保の浜 広さ一百六十歩なり。西に神社あり。北に百姓の家あり」とみえ、現在の美保関の状況と土地利用は余り変化ないようである。尚、「みほ」の漢字表記は「三保」「美穂」「三穂」「御大」がある。

「西に神社」の神社とは美保神社である。『延喜式』式内社である。社格順とされる『出雲国風土記』では島根郡式内社の中で一番最後に名をみせるが、実はその部分は『出雲国風土記』では欠落しており、参拝順の『延喜式』をもって復元されていることが判明している。国譲り神話で重要な舞台になる「ミホ」の地に鎮座の美保神社は島根郡の筆頭社と考えて間違いないであろう。

社殿は二殿並立の美保造、祭神は事代主命と美穂津姫命であるが、本来は『出雲国風土記』にみえる大国主神と高志系の奴奈宜波比売との間に生まれた御穂須須美命、一神であったと思われる。後に特に近世になり記紀神話の国譲神話の神々が新たな祭神として登場したのであろう。美保神社をとりまく境内外の関係諸社も参拝したいところである。尚、国譲神話に因む青柴垣神事・諸手船神事は特に有名である。(関 和彦)