小伊津浦

浦名 小伊津浦(古井津浦)(こいづうら)
神社名 三社神社
祭神 上筒之男神
中筒之男神
底筒之男神
所在地 出雲市小伊津町1654
小伊津 海苔嶋

ただいま準備中です

三社神社は、県道23号線の小伊津トンネルの東側を海岸方向へ降りて行き、右手の狭い道に入っていく集落と海を眺め下ろす辺りで、左側に社があります。そのまま下っていくと海岸に行きあたり、さらに左手に進むと三津町の海岸に繋がっています。小伊津の海岸は自動車道路のまじかに迫っていて、海が荒れる頃は、映画で見るような凄まじさですが、岩場に押し寄せる白い波間のコバルトブル-はとても印象的な光景です。振り返りやまを見上げると、日本海に臨む岩脈がむき出しに迫り、迫力を感じます。岩の迫力と波の騒音の中、一時静寂に包まれるのも旅の楽しみです。

 三社神社の入り口正面には稲荷神社があり、他の神社の稲荷社に比べると広い面積を占めており、伝わる信仰の深さが思われます。

 小伊津の正月行事のとんどは、三日の夕方から、笛・太鼓の祇園囃を伴い清めの町内巡行により始まります。老爺・老婆が先導して、中学・高校生が顔を半ば隠した白装束に赤い腰帯を巻いた扮装で行列の「音頭取り」を務めます。昔は町内の端々まで回り、半日がかりだったと聞きます。夕方からは、小中学生の奉納子供神楽が行われ、歳徳神を祀り飾られた神社拝殿で、夜の十二時頃まで七座・悪切りなどの演目を舞います。お日待ちに寺の住職が神社拝殿でお経をあげると聞きましたが、興味深いお話でした。

とんど宮練 音頭取

『出雲国風土記』の時点では「己自都(こしづ)」、四十二浦の版木では「古井津」、そして現在は小伊津と地名が変遷してきた

歳徳神 集会所から神社へ

『出雲国風土記』の時点では「己自都(こしづ)」、四十二浦の版木では「古井津」、そして現在は小伊津と地名が変遷してきた。古代の「こしづ」の名は地域を物語る地名の申し子といえよう。「こしづ」は「腰津」とする理解もあるが、「越津」の意と解して間違いない。多分平田の方から越えて行った先にある津ということであろう。小伊津の守護神である三社神社は町の中に溶け込むように鎮座している。  

「三社」とは祭神の「上筒之男命・中筒之男命・底筒之男命」のことである。  

尚、『雲陽誌』によれば、「或る人曰く、風土記に載る水神社是なり」とある。その人とは岸崎時照であり、注目すべき見解である、確かに『出雲国風土記』楯縫郡条に「水社」がみえる。しかし、その「水社」は現在、本庄町の水谷に鎮座している。「三津浦」も含めて今後の検討が望まれる。(関 和彦)

トンド神輿 本殿を巡る
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浦名 小伊津浦(古井津浦)(こいづうら)
神社名 三社神社
祭神 上筒之男神
中筒之男神
底筒之男神
所在地 出雲市小伊津町1654
現地までのアクセス
浦巡りガイド

三社神社は、県道23号線の小伊津トンネルの東側を海岸方向へ降りて行き、右手の狭い道に入っていく集落と海を眺め下ろす辺りで、左側に社があります。そのまま下っていくと海岸に行きあたり、さらに左手に進むと三津町の海岸に繋がっています。小伊津の海岸は自動車道路のまじかに迫っていて、海が荒れる頃は、映画で見るような凄まじさですが、岩場に押し寄せる白い波間のコバルトブル-はとても印象的な光景です。振り返りやまを見上げると、日本海に臨む岩脈がむき出しに迫り、迫力を感じます。岩の迫力と波の騒音の中、一時静寂に包まれるのも旅の楽しみです。

 三社神社の入り口正面には稲荷神社があり、他の神社の稲荷社に比べると広い面積を占めており、伝わる信仰の深さが思われます。

 小伊津の正月行事のとんどは、三日の夕方から、笛・太鼓の祇園囃を伴い清めの町内巡行により始まります。老爺・老婆が先導して、中学・高校生が顔を半ば隠した白装束に赤い腰帯を巻いた扮装で行列の「音頭取り」を務めます。昔は町内の端々まで回り、半日がかりだったと聞きます。夕方からは、小中学生の奉納子供神楽が行われ、歳徳神を祀り飾られた神社拝殿で、夜の十二時頃まで七座・悪切りなどの演目を舞います。お日待ちに寺の住職が神社拝殿でお経をあげると聞きましたが、興味深いお話でした。

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小伊津 海苔嶋
とんど宮練 音頭取
歳徳神 集会所から神社へ
トンド神輿 本殿を巡る

『出雲国風土記』の時点では「己自都(こしづ)」、四十二浦の版木では「古井津」、そして現在は小伊津と地名が変遷してきた

『出雲国風土記』の時点では「己自都(こしづ)」、四十二浦の版木では「古井津」、そして現在は小伊津と地名が変遷してきた。古代の「こしづ」の名は地域を物語る地名の申し子といえよう。「こしづ」は「腰津」とする理解もあるが、「越津」の意と解して間違いない。多分平田の方から越えて行った先にある津ということであろう。小伊津の守護神である三社神社は町の中に溶け込むように鎮座している。  

「三社」とは祭神の「上筒之男命・中筒之男命・底筒之男命」のことである。  

尚、『雲陽誌』によれば、「或る人曰く、風土記に載る水神社是なり」とある。その人とは岸崎時照であり、注目すべき見解である、確かに『出雲国風土記』楯縫郡条に「水社」がみえる。しかし、その「水社」は現在、本庄町の水谷に鎮座している。「三津浦」も含めて今後の検討が望まれる。(関 和彦)