韓竈神社
神社名 | 韓竈神社 |
---|---|
祭神 | 素戔嗚尊 |
所在地 | 出雲市唐川町四〇八 |
韓竈神社は、鰐淵コミセンを左手に見ながら山中に入って行き、三百メートル手前で車を止めて、杉並木の中を歩いて行きます。
鳥居が右手に見えて、素戔嗚尊(スサノオのミコト)が朝鮮半島に渡ったときに使用したという「岩舟」が左手の川辺にある、そこが神社参拝の登山口になります。自然石の石段が急傾斜に組まれていて、そこをロープにつかまりながら上ります。登り切ると大きな岩が割れて入り口になっていて、大人がやっとくぐれますが、この「岩くぐり」により、やっと社に参拝出来ます。
大きな岩が韓竈神社に覆い被さっていて、社は銅板葺の緑青が美しく映えています。社付近には行者が修験に訪ねた焚き火の痕跡があると聞きますが、ここは古来様々な信仰のエリアで、静かに瞑想する場所として最適です。今は、安産の御利益があると言うことで、沢山の若い女性が訪ねています。国づくりの荒ぶる神素戔嗚尊と安産の御利益は符合しないような感じですが、「岩くぐり」を産道に見立てて安産をイメージするのです。上るときよりは、下山するときが怖いので、参拝にはに十分な注意が必要です。このため、先ほどの鰐淵コミセンから左手に進むと、県内で有数のお茶畑が広がる唐川町の「お茶の里唐川館」の建物から山を見上げると、遙拝のための韓竈神社があります。本殿に上るのが困難な方のために、拝殿が建てられています。ここから茶畑を見晴らすと、宇治の茶畑を思い起こさせる緑の空間が広がっていますが、島根県景観大賞を受賞している素晴らしい光景です。お茶は鰐淵コミセンで、販売しています。韓竈神社の御朱印もこのコミセンで頂くことが出来ます。
『出雲国風土記』には「韓銍」とみえる。最近、鎮座空間の神秘性から注目を集め、多くの参拝客が訪れるようになった
この「韓銍社」の「銍(かま)」は「鎌」に通じる漢字であり、即に「釜」につながるものではない。「鎌」と「竈・釜」には何か通じる性格があるのかも知れない。その点について「竈・釜」が曲線であり、「鎌」も刃が弓形であることが注意される。
同社は『延喜式』にしたがい現在は韓竈神社と呼ばれている。谷筋から急峻な坂を息を切らせて登ると奇岩が道手を塞ぎ、怪石の間を体内潜りのように抜けると磐穴に抱かれたお社にたどりつく。神社の古態を今に伝える磐座の系譜を持つ神社である。何時、磐岩がうごめき、崩れるか、果たして無事に戻れるか、長居は無用である。木の根の張りよう、岩間の水の氷結により奇岩・怪石は崩壊、落石などを繰り返しながらも、神聖な祭祀場として生きてきたのであろう。奈良時代、風土記の頃、もしかすると「銍」のような形をした奇岩があり、やがて崩落し、平安時代、『延喜式』の頃、人びとは祭祀空間に「竈」のような磐を見出したのかも知れない。
神社名 | 韓竈神社 |
---|---|
祭神 | 素戔嗚尊 |
所在地 | 出雲市唐川町四〇八 |
韓竈神社は、鰐淵コミセンを左手に見ながら山中に入って行き、三百メートル手前で車を止めて、杉並木の中を歩いて行きます。
鳥居が右手に見えて、素戔嗚尊(スサノオのミコト)が朝鮮半島に渡ったときに使用したという「岩舟」が左手の川辺にある、そこが神社参拝の登山口になります。自然石の石段が急傾斜に組まれていて、そこをロープにつかまりながら上ります。登り切ると大きな岩が割れて入り口になっていて、大人がやっとくぐれますが、この「岩くぐり」により、やっと社に参拝出来ます。
大きな岩が韓竈神社に覆い被さっていて、社は銅板葺の緑青が美しく映えています。社付近には行者が修験に訪ねた焚き火の痕跡があると聞きますが、ここは古来様々な信仰のエリアで、静かに瞑想する場所として最適です。今は、安産の御利益があると言うことで、沢山の若い女性が訪ねています。国づくりの荒ぶる神素戔嗚尊と安産の御利益は符合しないような感じですが、「岩くぐり」を産道に見立てて安産をイメージするのです。上るときよりは、下山するときが怖いので、参拝にはに十分な注意が必要です。このため、先ほどの鰐淵コミセンから左手に進むと、県内で有数のお茶畑が広がる唐川町の「お茶の里唐川館」の建物から山を見上げると、遙拝のための韓竈神社があります。本殿に上るのが困難な方のために、拝殿が建てられています。ここから茶畑を見晴らすと、宇治の茶畑を思い起こさせる緑の空間が広がっていますが、島根県景観大賞を受賞している素晴らしい光景です。お茶は鰐淵コミセンで、販売しています。韓竈神社の御朱印もこのコミセンで頂くことが出来ます。
『出雲国風土記』には「韓銍」とみえる。最近、鎮座空間の神秘性から注目を集め、多くの参拝客が訪れるようになった
この「韓銍社」の「銍(かま)」は「鎌」に通じる漢字であり、即に「釜」につながるものではない。「鎌」と「竈・釜」には何か通じる性格があるのかも知れない。その点について「竈・釜」が曲線であり、「鎌」も刃が弓形であることが注意される。
同社は『延喜式』にしたがい現在は韓竈神社と呼ばれている。谷筋から急峻な坂を息を切らせて登ると奇岩が道手を塞ぎ、怪石の間を体内潜りのように抜けると磐穴に抱かれたお社にたどりつく。神社の古態を今に伝える磐座の系譜を持つ神社である。何時、磐岩がうごめき、崩れるか、果たして無事に戻れるか、長居は無用である。木の根の張りよう、岩間の水の氷結により奇岩・怪石は崩壊、落石などを繰り返しながらも、神聖な祭祀場として生きてきたのであろう。奈良時代、風土記の頃、もしかすると「銍」のような形をした奇岩があり、やがて崩落し、平安時代、『延喜式』の頃、人びとは祭祀空間に「竈」のような磐を見出したのかも知れない。