笹子浦
浦名 | 笹子浦(佐々子浦)(ささごうら) |
---|---|
神社名 | 玉結神社 |
祭神 | 玉依比女命 |
所在地 | 松江市美保関町片江1618 |
幣帛(へいはく)を 佐々子(ささご)のうらの神社(かむやしろ)
守(まも)れや 四(よつ)の海(うみ)も ゆたかに
玉結の集落では、「おひまち」と云う住民全世帯が参加して行う正月の行事があります。
十年前までは、歳徳神の神輿を担いで練り歩く等の行事もあったとのことですが、担ぎ手もなくなり、軽トラで巡行し今はそれもなくなったとのことでした。若者が担いで練り歩いている頃は、神輿をかつぎそのまま玉結の海に入ることもあったとのことでしたが、これは玉依姫伝説から考えると海神との交流を物語るのだろうかと思います。その神輿は、今も神社付近に保管されており、石細工の龍の飾りが壊れており、祭の痕跡がありました。
出雲国風土記に載っている碁石を採取したと言う、玉結神社から二百メートルばかりのところにある玉結浜の海岸には今も砂浜が残っており、黒の碁石の材料になりそうな石が沢山あります。白の碁石も貝を加工して作っていたものだと言います。集落には石細工の職人がいて当時は玉結神社の裏山を越えたあたりの海岸の石を採って、刃物を研ぐ砥石も生産されていました。今は神社の裏山の道はなくなり、海から回り込む他ないようです。
また、神社に上る石段を囲む石垣はその組み方に特徴があり、城郭の石組職人、或いは渡来人の手によるものではないかとのことでした。神社の向かい側の山中には、荒神さん等境内社もあり、さすがに風土記社で神社の神域はとても広いようです。
「佐々子」は現在「笹子」と書き、片江の一集落である
「佐々子」は現在「笹子」と書き、片江の一集落である。この浦は『出雲国風土記』には「玉結浜」と呼ばれ「碁石あり、東の辺に麁砥あり、又、百姓の家あり」と紹介されている。現在は海岸に民家はない。神社から海に向い、左手に現れる海岸に下りると、引き潮の際には風土記の記述の通り黒の玉石を拾うことが出来る。千三百年余を経ても『出雲国風土記』世界を具体的に伝える知られざる貴重な生きた遺跡である。
「玉井」大明神は『雲陽誌』にみえる「田前明神」であり、『出雲国風土記』にみえる「玉結社」であろう。「田前(たまえ)」は字こそ異なるが明らかに「玉結(たまえ)」である。神社の側を流れる小流は田前川であり、江戸時代の名前を残している。本来的な意味合いは「玉江」と思われる。祭神は社名にも合う海の神・玉依比売とされている。(関 和彦)
浦名 | 笹子浦(佐々子浦)(ささごうら) |
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神社名 | 玉結神社 |
祭神 | 玉依比女命 |
所在地 | 松江市美保関町片江1618 |
幣帛(へいはく)を 佐々子(ささご)のうらの神社(かむやしろ)
守(まも)れや 四(よつ)の海(うみ)も ゆたかに
玉結の集落では、「おひまち」と云う住民全世帯が参加して行う正月の行事があります。
十年前までは、歳徳神の神輿を担いで練り歩く等の行事もあったとのことですが、担ぎ手もなくなり、軽トラで巡行し今はそれもなくなったとのことでした。若者が担いで練り歩いている頃は、神輿をかつぎそのまま玉結の海に入ることもあったとのことでしたが、これは玉依姫伝説から考えると海神との交流を物語るのだろうかと思います。その神輿は、今も神社付近に保管されており、石細工の龍の飾りが壊れており、祭の痕跡がありました。
出雲国風土記に載っている碁石を採取したと言う、玉結神社から二百メートルばかりのところにある玉結浜の海岸には今も砂浜が残っており、黒の碁石の材料になりそうな石が沢山あります。白の碁石も貝を加工して作っていたものだと言います。集落には石細工の職人がいて当時は玉結神社の裏山を越えたあたりの海岸の石を採って、刃物を研ぐ砥石も生産されていました。今は神社の裏山の道はなくなり、海から回り込む他ないようです。
また、神社に上る石段を囲む石垣はその組み方に特徴があり、城郭の石組職人、或いは渡来人の手によるものではないかとのことでした。神社の向かい側の山中には、荒神さん等境内社もあり、さすがに風土記社で神社の神域はとても広いようです。
「佐々子」は現在「笹子」と書き、片江の一集落である
「佐々子」は現在「笹子」と書き、片江の一集落である。この浦は『出雲国風土記』には「玉結浜」と呼ばれ「碁石あり、東の辺に麁砥あり、又、百姓の家あり」と紹介されている。現在は海岸に民家はない。神社から海に向い、左手に現れる海岸に下りると、引き潮の際には風土記の記述の通り黒の玉石を拾うことが出来る。千三百年余を経ても『出雲国風土記』世界を具体的に伝える知られざる貴重な生きた遺跡である。
「玉井」大明神は『雲陽誌』にみえる「田前明神」であり、『出雲国風土記』にみえる「玉結社」であろう。「田前(たまえ)」は字こそ異なるが明らかに「玉結(たまえ)」である。神社の側を流れる小流は田前川であり、江戸時代の名前を残している。本来的な意味合いは「玉江」と思われる。祭神は社名にも合う海の神・玉依比売とされている。(関 和彦)