小波浦

浦名 小波浦(小浪浦)(こなみうら)
神社名 奴奈彌神社
祭神 大己貴命
所在地 松江市島根町野波2706
小波浦

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小波海水浴場

観光協会

奴奈彌神社は、小波の海水浴場の山手の東側の連なりの先端にあります。平成十三年に遷宮が行われており、新しく奉納された子持ち狛犬が印象に残ります。また、拝殿右側の社「お伊勢さん」では、毎年二月十一日に「伊勢神宮祭」があり、かつては宮司が三宝に盛った米の上に月日を書いた紙片を幣串で豊漁日を占うという「折り日」神事があると聞きました。

正月の小波浦は、子供神輿も繰り出す歳徳神宮練で賑わいます。神輿ごと海中に入る禊もありますが、嫁を貰った男性を海水に投げ込むようなことは、最近は、危険なので家族に止められていると聞きました。

小波海水浴場は、遠浅で蛤取りが出来ると言うことで、昔はバケツ一杯取れる頃もあったと聞きました。サザエと違って禁漁になっていないので、これはひそかな楽しみです。海に浸かると一年間風邪をひかないと言いますから、是非海水パンツとバケツを持って訪ねたいものです。民宿もありますが、夏は夜空を眺めるキャンプもいい思い出になります。民宿「なかよし」では夏場はもちろんですが、冬場も予約があれば食事も出来ます。

沖泊まりの港辺りでダイビング教室があった十年前頃は、出雲神話のテレビ番組にもよく出演される松江出身の佐野史郎氏も「民宿なかよし」の食堂に色紙を残され、たくさんの家族連れが訪れる等ちょっとしたブームだったようです。

また、かなり昔に、家族が様々な問題を乗り越えつつ絆を深めていく「花いちもんめ」と云う映画のロケ地になったとも聞きましたが、夏は空も海も、冬季はコバルトブル―の大波がざわめきを洗う、今も変わらない癒やしの光景、白砂青松の小波湾です。

佐藤信作曲 混声合唱組曲「なぎさ歩めば」という歌の一節を思い出します。
『なぎさ歩めばきこゆるは 遠き汐鳴り せつなくも 胸をうつ 遠く過ぎし日・・・

   なぎさ歩めば なつかしき夏の思い出うかぶ』

また、「村の小道で」という一節もあります。

『村のじさまが語ってくれた いろりパチパチ 昔のはなし 村のじさまが語ってくれた 人を化かした 狸のはなし』

境内潮汲み竹筒

「小浪」は『出雲国風土記』の「野浪」を意識した表現であろうか

とんど宮練

「小浪」、現在は「小波」である。『雲陽誌』の段階でも「小波」と表記されている。一貫して野波村野波とし沖泊・多古・瀬崎とともに野波世界を構成してきたのであろう。『出雲国風土記』には「瀬崎」、「野浪(波)」が名を残す。先の「小浪」は『出雲国風土記』の「野浪」を意識した表現であろうか。

 現在、小波の字・平田山の神社は「奴奈弥」神社と公称し、その前身が「国司神社」であることは間違いない。但し、江戸時代初期の天和年間の岸崎時照の『出雲風土記抄』はその神社を「久仁戸志大明神」としている。慶応二(一八六六)年に同社を参拝した小村和四郎は「国主大明神」としており、時の宮司の朝倉長門も「国主大明神」と朱印帳に明記している。「国司」は「くにし」と読むのであろう。「くにとし」「くにし」「くにぬし」と読みは微妙に変化している。

 尚、現在神社は字・平田山に鎮座しているが、その前面の字が「前田」である。野波の神社も旧鎮座地が前田であったことを思い出したい。

 不思議なのは『出雲国風土記』が語る「奴奈弥(野浪)」の神社は先に述べたように「野浪浜 東の辺に神の社あり」とあり、明らかに現「小波」ではなく、「野波」の東部にあったという事実である。長い歴史の中で「奴那弥」の神社が野波から小波の集落に遷移したとも考えられるが、『出雲国風土記』島根郡条の神社記載では十社の社名が欠落しており、可能性として「努那彌」社が二社あったと考えるべきであろう。

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浦名 小波浦(小浪浦)(こなみうら)
神社名 奴奈彌神社
祭神 大己貴命
所在地 松江市島根町野波2706
現地までのアクセス
浦巡りガイド

観光協会

奴奈彌神社は、小波の海水浴場の山手の東側の連なりの先端にあります。平成十三年に遷宮が行われており、新しく奉納された子持ち狛犬が印象に残ります。また、拝殿右側の社「お伊勢さん」では、毎年二月十一日に「伊勢神宮祭」があり、かつては宮司が三宝に盛った米の上に月日を書いた紙片を幣串で豊漁日を占うという「折り日」神事があると聞きました。

正月の小波浦は、子供神輿も繰り出す歳徳神宮練で賑わいます。神輿ごと海中に入る禊もありますが、嫁を貰った男性を海水に投げ込むようなことは、最近は、危険なので家族に止められていると聞きました。

小波海水浴場は、遠浅で蛤取りが出来ると言うことで、昔はバケツ一杯取れる頃もあったと聞きました。サザエと違って禁漁になっていないので、これはひそかな楽しみです。海に浸かると一年間風邪をひかないと言いますから、是非海水パンツとバケツを持って訪ねたいものです。民宿もありますが、夏は夜空を眺めるキャンプもいい思い出になります。民宿「なかよし」では夏場はもちろんですが、冬場も予約があれば食事も出来ます。

沖泊まりの港辺りでダイビング教室があった十年前頃は、出雲神話のテレビ番組にもよく出演される松江出身の佐野史郎氏も「民宿なかよし」の食堂に色紙を残され、たくさんの家族連れが訪れる等ちょっとしたブームだったようです。

また、かなり昔に、家族が様々な問題を乗り越えつつ絆を深めていく「花いちもんめ」と云う映画のロケ地になったとも聞きましたが、夏は空も海も、冬季はコバルトブル―の大波がざわめきを洗う、今も変わらない癒やしの光景、白砂青松の小波湾です。

佐藤信作曲 混声合唱組曲「なぎさ歩めば」という歌の一節を思い出します。
『なぎさ歩めばきこゆるは 遠き汐鳴り せつなくも 胸をうつ 遠く過ぎし日・・・

   なぎさ歩めば なつかしき夏の思い出うかぶ』

また、「村の小道で」という一節もあります。

『村のじさまが語ってくれた いろりパチパチ 昔のはなし 村のじさまが語ってくれた 人を化かした 狸のはなし』

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小波海水浴場
境内潮汲み竹筒
とんど宮練

「小浪」は『出雲国風土記』の「野浪」を意識した表現であろうか

「小浪」、現在は「小波」である。『雲陽誌』の段階でも「小波」と表記されている。一貫して野波村野波とし沖泊・多古・瀬崎とともに野波世界を構成してきたのであろう。『出雲国風土記』には「瀬崎」、「野浪(波)」が名を残す。先の「小浪」は『出雲国風土記』の「野浪」を意識した表現であろうか。

 現在、小波の字・平田山の神社は「奴奈弥」神社と公称し、その前身が「国司神社」であることは間違いない。但し、江戸時代初期の天和年間の岸崎時照の『出雲風土記抄』はその神社を「久仁戸志大明神」としている。慶応二(一八六六)年に同社を参拝した小村和四郎は「国主大明神」としており、時の宮司の朝倉長門も「国主大明神」と朱印帳に明記している。「国司」は「くにし」と読むのであろう。「くにとし」「くにし」「くにぬし」と読みは微妙に変化している。

 尚、現在神社は字・平田山に鎮座しているが、その前面の字が「前田」である。野波の神社も旧鎮座地が前田であったことを思い出したい。

 不思議なのは『出雲国風土記』が語る「奴奈弥(野浪)」の神社は先に述べたように「野浪浜 東の辺に神の社あり」とあり、明らかに現「小波」ではなく、「野波」の東部にあったという事実である。長い歴史の中で「奴那弥」の神社が野波から小波の集落に遷移したとも考えられるが、『出雲国風土記』島根郡条の神社記載では十社の社名が欠落しており、可能性として「努那彌」社が二社あったと考えるべきであろう。