笠浦

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笠浦

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日御崎神社
浦名 笠浦(笠野)(かさうら)
神社名 日御崎神社
祭神 天照大神
応神天皇
所在地 松江市美保関町笠浦449

雲州四十二浦の詠歌

笠野 日御崎神社
今ここにきて見る 笠のうらべなる
汀(みぎわ)の塩の  いさぎよきかな

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笠浦
笠浦
竜宮船
竜宮船
龍神祭の龍宮船
龍神祭の龍宮船
龍神丸地区内巡幸
龍神丸地区内巡幸

浦巡りガイド

笠浦では正月七日に、お七日さんと呼ばれる龍神祭がおこなわれます。「龍神祭」は江戸時代末期から始まったとされており、航海の安全と豊漁を祈るもので、1mばかりのわらと竹釘で作った「竜宮船(龍神丸)」を担いで町内を巡行し、港ではミカンおよそ四十箱を集まった人々に投げて、竜宮船にもみかんを積み込み港に流します。「竜宮船」の町内巡行では、猿田彦役を先頭として、龍宮船の神輿が続き、その後に男形を持った足名椎(あしなづち)・手名椎(てなづち)が続き、若い女性を見ると、大きなすりこぎの様な男形を構え、逃げ回る女性達たちを追いかける。この男形に触られると子宝に恵まれるとされています。

笠浦の「竜宮船」は、民俗学的に貴重なもので、現在も大阪の国立民族学博物館に展示されています。1983年の月刊「みんぱく」十二月号(島根県立図書館蔵)の記事によれば、「正月十五日が一年の境であった時代には、事前に障碍(しょうげ)を除却する神送りが、正月七日に行われていた可能性を示唆している。この柳田説を援用すると、美保関町笠浦の正月七日の竜宮船も、或いは、正月一五日に先立つ「悪神祭却」の神送りの名残をとどめるものかもしれない。」、「本来は、漁の守護神である海神に神饌を供える行事であり、船に積まれたミカンは海神への供物である。」と同館の垂水稔氏は「水に流す神送り」と言う論文の中で鳥取県の流し雛等と共に全国の一例として紹介されています。この竜宮船は、本物の竜宮船(龍神丸)は、毎年作られて海に流されるので、現在笠浦の個人宅にミニチュアが保存されています。

笠浦では、四十九日の忌明け後宮司のお祓いにより清めた後御宮参りをすると聞きました。

「笠野」とあるが「笠浦」のことであろう

「笠野」とあるが「笠浦」のことであろう。文久年間の金崎善平は「笠浦」と記している。その「笠浦」の名称は『出雲国風土記』には見えず、「葦浦浜」と呼ばれている浜に相当すると思われる。現に日御崎神社の通称は「あしの浦宮」である。 

祭神が天照大神・応神天皇・事代主尊と不揃いであり違和感を抱くが、『雲陽誌』をひも解くと笠浦には日御崎・八幡宮・恵美酒がみえており、三社が後に日御崎神社に一体化されたのであろう。  

慶応二年に笠浦を訪れた平田の小村和四郎重義は日御崎神社、そして八幡宮を参拝しているので、日御崎神社の祭神が現状のようになったのは明治になってからと思われる。(関 和彦)

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