一畑薬師

一畑寺(いちばたじ)は、出雲神話の国引きで名高い島根半島の中心部、標高200メートルの一畑山上にあります。  「目のお薬師様」として、古くから全国的な信仰の広がりを持つこのお寺は、1200段余りの石段(参道)でも有名です。

標高200メートルの一畑山

アクセス

灯明法要

一畑薬師への道は、尾根伝いに上がる自動車の道路分岐点から、その昔電車道があったと言う先に進むと、一畑薬師に上がる千二百段余りの石段があります。この石段の途中には鳥取県境港市の「みずきしげるロ-ド」で知られている妖怪のブロンズ像のミニチュアがお迎えします。境内に上がり観音堂付近には、水木しげる氏が女中をしていた景山フサことのんのんばあと共に参詣した逸話から「のんのんばあとオレ」の大きなブロンズ像が立っています。

 また、一畑薬師は眼を患う人の参詣が絶えず、島根半島の四十二浦巡りで汲んだ潮水を奉納し、願掛けをする潮汲み奉納所も本堂横にあります。また、研究会では四十二浦巡りの全体図を掲載した案内看板を全日本冠婚葬祭互助協会の社会貢献事業助成により、平成二十四年十一月二五日に設置しました。四十二浦巡りは、古来個人の信仰心から行うもので、一畑薬師の宗教行事ではありませんが、四十二浦巡りを簡略に参拝できるお砂踏み場があり、お札所には研究会では作成した四十二浦巡り・七浦巡りのガイドブック・マップ等を販売しています。

奉納された「雲州四十二浦の詠歌」嘉永七年(1854年)

「一畑」 の名の由来は地名(薬草畑の番号)であるといわれている

座禅 法堂

一畑薬師(一畑寺)は、半島のほぼ中央、標高二〇〇メートルの一畑山上にある。寺伝によると、平安時代の寛平六(八九四)年の開基で、もと天台宗であったという。本尊薬師如来は、漁師の与市(出家後、補然と称す)によって赤浦からすくい上げられ、現在地に祀られたと伝える。一畑薬師は四十二浦巡りの結願の地ともみなされてきた。とくに、「目の薬師」として知られる一畑薬師に眼病平癒を祈願するため、または、願いが成就した御礼のために浦巡りをしたという話が多く聞かれる。眼を患う人たちは、一本の杖を頼りに連なって歩き、各浦で数滴ずつ汲んだ潮水や採取した海藻を一畑薬師へ奉納し、祈願したという。

 「(赤浦で潮を汲み奉納すると)一畑薬師が海底におられた時に目に「ベベ」という貝がさがっていたといって喜ばっしゃる」(瀬川清子氏による調査報告)というように、一畑薬師の海中出現伝承と眼病平癒の霊験に基づき、潮水や海藻を奉納したものであろう。江戸時代中頃の「雲州四十二浦之詠歌」には、各浦の神社ごとに御詠歌が掲げられ、神道色が非常に強い。他方、四十二浦巡りと一畑薬師との結びつきが確認されるのは、幕末頃からである。嘉永七(一八五四)年に一畑薬師へ奉納された「四十二浦奉納歌」には、奉納者が「一畑薬師神」へ眼病平癒を一心に祈願したところ、間もなく清明を得られ、御礼のために浦を巡ったとある。

一畑薬師信仰は江戸時代後期以降に目覚ましく発展した。おそらくこの頃、四十二浦巡りの習俗と、海中出現伝承をもつ一畑薬師の信仰とが結びつき、一畑薬師信仰の隆盛とともに、眼病平癒を祈願する人たちの浦巡りも増加したのではないだろうか。(大谷めぐみ)

 

御本尊御出現の地とされる赤浦
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一畑寺(いちばたじ)は、出雲神話の国引きで名高い島根半島の中心部、標高200メートルの一畑山上にあります。  「目のお薬師様」として、古くから全国的な信仰の広がりを持つこのお寺は、1200段余りの石段(参道)でも有名です。

現地までのアクセス
浦巡りガイド

一畑薬師への道は、尾根伝いに上がる自動車の道路分岐点から、その昔電車道があったと言う先に進むと、一畑薬師に上がる千二百段余りの石段があります。この石段の途中には鳥取県境港市の「みずきしげるロ-ド」で知られている妖怪のブロンズ像のミニチュアがお迎えします。境内に上がり観音堂付近には、水木しげる氏が女中をしていた景山フサことのんのんばあと共に参詣した逸話から「のんのんばあとオレ」の大きなブロンズ像が立っています。

 また、一畑薬師は眼を患う人の参詣が絶えず、島根半島の四十二浦巡りで汲んだ潮水を奉納し、願掛けをする潮汲み奉納所も本堂横にあります。また、研究会では四十二浦巡りの全体図を掲載した案内看板を全日本冠婚葬祭互助協会の社会貢献事業助成により、平成二十四年十一月二五日に設置しました。四十二浦巡りは、古来個人の信仰心から行うもので、一畑薬師の宗教行事ではありませんが、四十二浦巡りを簡略に参拝できるお砂踏み場があり、お札所には研究会では作成した四十二浦巡り・七浦巡りのガイドブック・マップ等を販売しています。

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標高200メートルの一畑山
灯明法要
奉納された「雲州四十二浦の詠歌」嘉永七年(1854年)
座禅 法堂
御本尊御出現の地とされる赤浦

「一畑」 の名の由来は地名(薬草畑の番号)であるといわれている

一畑薬師(一畑寺)は、半島のほぼ中央、標高二〇〇メートルの一畑山上にある。寺伝によると、平安時代の寛平六(八九四)年の開基で、もと天台宗であったという。本尊薬師如来は、漁師の与市(出家後、補然と称す)によって赤浦からすくい上げられ、現在地に祀られたと伝える。一畑薬師は四十二浦巡りの結願の地ともみなされてきた。とくに、「目の薬師」として知られる一畑薬師に眼病平癒を祈願するため、または、願いが成就した御礼のために浦巡りをしたという話が多く聞かれる。眼を患う人たちは、一本の杖を頼りに連なって歩き、各浦で数滴ずつ汲んだ潮水や採取した海藻を一畑薬師へ奉納し、祈願したという。

 「(赤浦で潮を汲み奉納すると)一畑薬師が海底におられた時に目に「ベベ」という貝がさがっていたといって喜ばっしゃる」(瀬川清子氏による調査報告)というように、一畑薬師の海中出現伝承と眼病平癒の霊験に基づき、潮水や海藻を奉納したものであろう。江戸時代中頃の「雲州四十二浦之詠歌」には、各浦の神社ごとに御詠歌が掲げられ、神道色が非常に強い。他方、四十二浦巡りと一畑薬師との結びつきが確認されるのは、幕末頃からである。嘉永七(一八五四)年に一畑薬師へ奉納された「四十二浦奉納歌」には、奉納者が「一畑薬師神」へ眼病平癒を一心に祈願したところ、間もなく清明を得られ、御礼のために浦を巡ったとある。

一畑薬師信仰は江戸時代後期以降に目覚ましく発展した。おそらくこの頃、四十二浦巡りの習俗と、海中出現伝承をもつ一畑薬師の信仰とが結びつき、一畑薬師信仰の隆盛とともに、眼病平癒を祈願する人たちの浦巡りも増加したのではないだろうか。(大谷めぐみ)