福浦

浦名 福浦(ふくうら)
神社名 三保神社
祭神 事代主命
三穂津姫命
所在地 松江市美保関町福浦811
福浦三保大明神   
  あさぼらけ 霞(かすみ)の内(うち)に 百船(ももふね)の
               嵐(あらし)ふくらの 沖(おき)やすむらん
福浦

美保関コミュニティーバス

美保関線・万原ターミナル 乗車 →(18分)→ 福浦 下車 徒歩2分

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福浦

福浦湾は、その袋状の湾の出口に当たるところに松江・美保関線の県道が走っているので、三保神社を見逃しそうになりますが、橋を渡り切って振り返るとその奥まったところに神社が見えます。福袋を三保神社が抱きかかえている風景にも見えます。

三保神社の拝殿の鳴り子の鈴あたりを見上げると、かなり古くなっていますが、龍が二匹向かい合っている浮彫の扁額があります。じっと見ていると怖くなるような立派な龍です。    

三保神社では十一月二十二日に住民の健康長寿を祈る例祭があり、翌日二十三日午前中に「なます祭り」、午後1時頃には漁師が港の漁船を動員して行う大漁と海の安全を祈念するパレ-ド「竜神祭り」があります。「なます祭り」は、十一月と三月の年2回行われますが、前日から水に漬けておいたもち米の玄米を1升炊き、そぎ切り大根にいわしのいりこを粉にしてまぶした酢のもの、ほうれん草のおひたしを作り、事代主命と三穂津姫命にお供えしてから、参拝者が少しずつ頂きその場で食べて、また家に持ち帰ると言うものです。もち米の炊き上げは昔から境内のこもり所の囲炉裏で煙を立てながら行うと言うものですが、古来神主と男子のみで行うこととなっており、何故かほうれん草のおひたしは、女性が作ることになっていると言うことです。健康長寿を祈願する祭礼で健康食を伝え味見が出来ると言うのも具体的で親切な行事であると思います。十一月には、このなます祭りの明くる日の午後に大漁を祈願する「竜神祭り」が行われて福浦港の漁船が境水道を巡行すると言うものです。パレードは、竜神さんに同乗頂き神主による太鼓などの鳴り物入りで行われ、正月に向けてのシラス漁など大漁の前祝いと云うところでしょうか。

『出雲国風土記』に式内社の美保神社とは別社として「三保社」として記されている

福浦集落の前面の入り江にかかる橋から鳥居を望むことができる。入り江の奥に慎ましく鎮座しているのが三保神社である。『出雲国風土記』に式内社の美保神社とは別社として「三保社」として記されている。美保神社と同じく二殿並立である。

 「福浦」の地は『出雲国風土記』によれば島根郡美保郷に属していた。ところが藤原宮跡から出土した木簡に「島根郡副良里」と記載された地名表記が確認されたのである。風土記の時代よりも古い時代、美保の地は「副良」と呼ばれていた可能性もあり、その中心は美保関の町よりも現在の福浦であったとも考えられる。「副良」は「福浦」を念頭におくと「ふくら」と読めるが、「ふくろ(袋)」とも読めそうである。神社から海岸へ、そこで古代の袋状の海岸を想定するのも一興である。また何故、美保関ではなく福浦が四十二浦巡りの起点(終点)になったのか、それも不思議である。四十二浦、それを祝う「福」の浦という意識があったのであろうか。 (関 和彦)

浦名 福浦(ふくうら)
神社名 三保神社
祭神 事代主命
三穂津姫命
所在地 松江市美保関町福浦811
福浦三保大明神   
  あさぼらけ 霞(かすみ)の内(うち)に 百船(ももふね)の
               嵐(あらし)ふくらの 沖(おき)やすむらん
現地までのアクセス
浦巡りガイド

福浦湾は、その袋状の湾の出口に当たるところに松江・美保関線の県道が走っているので、三保神社を見逃しそうになりますが、橋を渡り切って振り返るとその奥まったところに神社が見えます。福袋を三保神社が抱きかかえている風景にも見えます。

三保神社の拝殿の鳴り子の鈴あたりを見上げると、かなり古くなっていますが、龍が二匹向かい合っている浮彫の扁額があります。じっと見ていると怖くなるような立派な龍です。    

三保神社では十一月二十二日に住民の健康長寿を祈る例祭があり、翌日二十三日午前中に「なます祭り」、午後1時頃には漁師が港の漁船を動員して行う大漁と海の安全を祈念するパレ-ド「竜神祭り」があります。「なます祭り」は、十一月と三月の年2回行われますが、前日から水に漬けておいたもち米の玄米を1升炊き、そぎ切り大根にいわしのいりこを粉にしてまぶした酢のもの、ほうれん草のおひたしを作り、事代主命と三穂津姫命にお供えしてから、参拝者が少しずつ頂きその場で食べて、また家に持ち帰ると言うものです。もち米の炊き上げは昔から境内のこもり所の囲炉裏で煙を立てながら行うと言うものですが、古来神主と男子のみで行うこととなっており、何故かほうれん草のおひたしは、女性が作ることになっていると言うことです。健康長寿を祈願する祭礼で健康食を伝え味見が出来ると言うのも具体的で親切な行事であると思います。十一月には、このなます祭りの明くる日の午後に大漁を祈願する「竜神祭り」が行われて福浦港の漁船が境水道を巡行すると言うものです。パレードは、竜神さんに同乗頂き神主による太鼓などの鳴り物入りで行われ、正月に向けてのシラス漁など大漁の前祝いと云うところでしょうか。

『出雲国風土記』に式内社の美保神社とは別社として「三保社」として記されている

福浦集落の前面の入り江にかかる橋から鳥居を望むことができる。入り江の奥に慎ましく鎮座しているのが三保神社である。『出雲国風土記』に式内社の美保神社とは別社として「三保社」として記されている。美保神社と同じく二殿並立である。

 「福浦」の地は『出雲国風土記』によれば島根郡美保郷に属していた。ところが藤原宮跡から出土した木簡に「島根郡副良里」と記載された地名表記が確認されたのである。風土記の時代よりも古い時代、美保の地は「副良」と呼ばれていた可能性もあり、その中心は美保関の町よりも現在の福浦であったとも考えられる。「副良」は「福浦」を念頭におくと「ふくら」と読めるが、「ふくろ(袋)」とも読めそうである。神社から海岸へ、そこで古代の袋状の海岸を想定するのも一興である。また何故、美保関ではなく福浦が四十二浦巡りの起点(終点)になったのか、それも不思議である。四十二浦、それを祝う「福」の浦という意識があったのであろうか。 (関 和彦)