宇美神社

神社名 宇美神社
祭神 布都御魂神
所在地 出雲市平田町宮ノ前688
宇美神社・平田天満宮(左手前)
平田一式飾り

宇美神社の拝殿内には境内には、氏子が京都からやってきた絵師に杉板に描かせた「三十六歌仙」の板絵があり、杉の年輪に浮かび上がった小野小町などの歌人の絵と歌は雅な歌の世界を想像させる素晴らしいものです。
イザナミとイザナキの命が祀られており、縁結び祈願の参拝者が増えていると聞きます。

宇美神社境内には、平田天満宮があります。天満宮には江戸時代に流行り病平癒を祈願する、毎年夏ごろの子供たちがお神輿を引き回すなど、御神幸に由来する祈願の一式飾りが今に伝わっています。
 陶磁器で神話の人物などを組み立てるものです。平田で製作された「牛若丸と弁慶」の一式飾りは大阪の国立民族学博物館に常設展示されています。この祈願の行事一式飾りは、斐川町・宍道町でも行われていたものですが、広く全国各地でも行われているようです。

なお、宇美神社の総代を務めていた「風土記社参詣記」を残した小村和四郎が眠る小村家の奥都城は、愛宕山の裾野の極楽寺にあります。

平田には、斐川町のショウガを使用した伝統の銘菓「生姜糖」があります。また、宇美神社を左手に進むと、菓子店「風月堂」があります。季節の生菓子・洋菓子など様々な手作り菓子が並べられていますので、参拝後お立ち寄りください。



36歌仙 板絵
小村家奥津城

四十二浦の垢離取歌、その版木(松江市八束町 大根島柏木氏所有)に深い関係を持った平田の小村和四郎重義の氏神である。風土記に「宇美社」、延喜式に「宇美神社」と名を残す古社である。しかし、平田開発の一族である小村氏は同社を守護神・熊野権現神社として祀ってきた歴史がある。江戸中期の『雲陽誌』によれば当時平田村域にあった宇美神社といわれた廻大明(せこ)大明神、天神など六社をその熊野神社に合祀したという。

明治になり国家神道体制下に入り、熊野神社は合祀されていた宇美神社(廻大明神)に社名変更を余儀なくされ、平田の開発の歴史を支えた熊野神社は従の位置におとしめられることになった。

小村和四郎は神主河瀬氏の理解も得て、また塩津の石上神社を宇美神社と主張する和泉藤次郎と連携し、明治十四年に平田の神社を熊野神社、塩津の神社を宇美神社とするよう島根県令に請願書を出したが願いは叶わなかった。

現在、平田の神社は宇美神社を正称するが、拝殿内には「熊野神社」の扁額も「宇美神社」と並んで仲良く懸けられている。尚、境内入口の左手に置かれている御影石の旧鳥居には出雲大社の千家俊信大人の銘がみえる。

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神社名 宇美神社
祭神 布都御魂神
所在地 出雲市平田町宮ノ前688
現地までのアクセス
浦巡りガイド

宇美神社の拝殿内には境内には、氏子が京都からやってきた絵師に杉板に描かせた「三十六歌仙」の板絵があり、杉の年輪に浮かび上がった小野小町などの歌人の絵と歌は雅な歌の世界を想像させる素晴らしいものです。
イザナミとイザナキの命が祀られており、縁結び祈願の参拝者が増えていると聞きます。

宇美神社境内には、平田天満宮があります。天満宮には江戸時代に流行り病平癒を祈願する、毎年夏ごろの子供たちがお神輿を引き回すなど、御神幸に由来する祈願の一式飾りが今に伝わっています。
 陶磁器で神話の人物などを組み立てるものです。平田で製作された「牛若丸と弁慶」の一式飾りは大阪の国立民族学博物館に常設展示されています。この祈願の行事一式飾りは、斐川町・宍道町でも行われていたものですが、広く全国各地でも行われているようです。

なお、宇美神社の総代を務めていた「風土記社参詣記」を残した小村和四郎が眠る小村家の奥都城は、愛宕山の裾野の極楽寺にあります。

平田には、斐川町のショウガを使用した伝統の銘菓「生姜糖」があります。また、宇美神社を左手に進むと、菓子店「風月堂」があります。季節の生菓子・洋菓子など様々な手作り菓子が並べられていますので、参拝後お立ち寄りください。



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宇美神社・平田天満宮(左手前)
平田一式飾り
36歌仙 板絵
小村家奥津城

四十二浦の垢離取歌、その版木(松江市八束町 大根島柏木氏所有)に深い関係を持った平田の小村和四郎重義の氏神である。風土記に「宇美社」、延喜式に「宇美神社」と名を残す古社である。しかし、平田開発の一族である小村氏は同社を守護神・熊野権現神社として祀ってきた歴史がある。江戸中期の『雲陽誌』によれば当時平田村域にあった宇美神社といわれた廻大明(せこ)大明神、天神など六社をその熊野神社に合祀したという。

明治になり国家神道体制下に入り、熊野神社は合祀されていた宇美神社(廻大明神)に社名変更を余儀なくされ、平田の開発の歴史を支えた熊野神社は従の位置におとしめられることになった。

小村和四郎は神主河瀬氏の理解も得て、また塩津の石上神社を宇美神社と主張する和泉藤次郎と連携し、明治十四年に平田の神社を熊野神社、塩津の神社を宇美神社とするよう島根県令に請願書を出したが願いは叶わなかった。

現在、平田の神社は宇美神社を正称するが、拝殿内には「熊野神社」の扁額も「宇美神社」と並んで仲良く懸けられている。尚、境内入口の左手に置かれている御影石の旧鳥居には出雲大社の千家俊信大人の銘がみえる。