小津浦
浦名 | 小津浦(古津浦)(こづうら) |
---|---|
神社名 | 許豆神社 |
祭神 | 志那津毘主神 志那津毘女神 |
所在地 | 出雲市小津町92 |
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小津集落南側の恵美須神社に、「塩の権現」が祀られています。
「塩の権現」は、石板を組み合わせた箱式石棺で、石材は砂岩で、棺内の底には、小さな玉石が敷かれている古墳です。近隣の人たちは「お忌み様」と呼んでいます。
親族が亡くなり、四十九日法要を終えた翌日「忌みを明けて欲しい」と、亡くなった家の親族に声を掛け、血縁関係にある人たちで近くの海に行きます。それも、朝早く暗い内に、人に会わないようにして行くそうです。
海草(じんば)を、浜辺で拾い、塩の権現さんに供え、その足で、氏神様にお詣りします。
そして、亡くなった人の仏間で、朝ご飯をみんなで一緒に食べる忌み明けの儀式があると聞きました。忌明けの汐汲みは、必ずしも竹筒に汐を組んで神社に備えるものではなく、神社にも参らず一畑寺に収める地域もあると聞いています。一つの信仰の形がここにあります。
小津の海岸は大社町からの岩山が河下港辺りで途切れて、再び鹿島町古浦に向けて連続する切り立つ岩壁の始まりであり、小伊津あたりの断層が幾重にも重なりつつ海に落ちていく様子は地質学的に貴重な地域で、船に乗って海から眺めたい絶景です。
※ 10月第3週土日頃に秋の例祭があります。獅子舞が北・南の許豆神社(小津町内)に奉納され、町内巡幸されます。
現「小津(こづ)」は古代においては「許豆(こづ)」と書かれていた
現「小津(こづ)」は古代においては「許豆(こづ)」と書かれていた。また国引神話のところでは「去豆」とも表現されている。「許豆」「去豆」ともに当て字的であり、現在の「小津」の方が原義に近いのではなかろうか。「小」は特に小さいという意味ではなく、「愛しい」の意の可能性もある。
その小津地域は神社の宝庫であり、古代においても五社の「許豆社」が存在した。四十二浦の「小津浦」の「一宮大明神」は「大宮大明神」とも呼ばれ、『出雲国風土記』にみえる五つの「許豆社」の内の一つに相当し、現在は「南の許豆神社」として知られている神社と思われる。
祭神は志那津毘古・志那津毘売であり、風を司る神である。「小津」、現在の十六島湾には北西の風が吹き込むが、社殿は小津の集落の小高い丘に風を迎え撃つように北東に向けて鎮座している。神社参拝の際は社殿の向きにも注目したいものである。(関 和彦)
浦名 | 小津浦(古津浦)(こづうら) |
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神社名 | 許豆神社 |
祭神 | 志那津毘主神 志那津毘女神 |
所在地 | 出雲市小津町92 |
小津集落南側の恵美須神社に、「塩の権現」が祀られています。
「塩の権現」は、石板を組み合わせた箱式石棺で、石材は砂岩で、棺内の底には、小さな玉石が敷かれている古墳です。近隣の人たちは「お忌み様」と呼んでいます。
親族が亡くなり、四十九日法要を終えた翌日「忌みを明けて欲しい」と、亡くなった家の親族に声を掛け、血縁関係にある人たちで近くの海に行きます。それも、朝早く暗い内に、人に会わないようにして行くそうです。
海草(じんば)を、浜辺で拾い、塩の権現さんに供え、その足で、氏神様にお詣りします。
そして、亡くなった人の仏間で、朝ご飯をみんなで一緒に食べる忌み明けの儀式があると聞きました。忌明けの汐汲みは、必ずしも竹筒に汐を組んで神社に備えるものではなく、神社にも参らず一畑寺に収める地域もあると聞いています。一つの信仰の形がここにあります。
小津の海岸は大社町からの岩山が河下港辺りで途切れて、再び鹿島町古浦に向けて連続する切り立つ岩壁の始まりであり、小伊津あたりの断層が幾重にも重なりつつ海に落ちていく様子は地質学的に貴重な地域で、船に乗って海から眺めたい絶景です。
※ 10月第3週土日頃に秋の例祭があります。獅子舞が北・南の許豆神社(小津町内)に奉納され、町内巡幸されます。
現「小津(こづ)」は古代においては「許豆(こづ)」と書かれていた
現「小津(こづ)」は古代においては「許豆(こづ)」と書かれていた。また国引神話のところでは「去豆」とも表現されている。「許豆」「去豆」ともに当て字的であり、現在の「小津」の方が原義に近いのではなかろうか。「小」は特に小さいという意味ではなく、「愛しい」の意の可能性もある。
その小津地域は神社の宝庫であり、古代においても五社の「許豆社」が存在した。四十二浦の「小津浦」の「一宮大明神」は「大宮大明神」とも呼ばれ、『出雲国風土記』にみえる五つの「許豆社」の内の一つに相当し、現在は「南の許豆神社」として知られている神社と思われる。
祭神は志那津毘古・志那津毘売であり、風を司る神である。「小津」、現在の十六島湾には北西の風が吹き込むが、社殿は小津の集落の小高い丘に風を迎え撃つように北東に向けて鎮座している。神社参拝の際は社殿の向きにも注目したいものである。(関 和彦)