坂浦

浦名 坂浦(佐賀浦)(さかうら)
神社名 鞆前神社
祭神 須佐之男神
天照大御神
所在地 出雲市坂浦町573

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坂浦

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坂浦

鞆前神社のトンド祭は、神木飾りと七福神飾りにより祝うこととされています。

神社左手の建屋に七福神・竜宮さんを歳徳神の神輿と共に飾り、新年を祝うこととされています。七福神には希望された氏子の女性の着物を着付けることになっており、この一年の健康と五穀豊穣・大漁を祈る、新年の喜びが伝わります。三日の夕方は古いお札を集めて、「火渡し」で焼いて「神流し」を行います。また、この一年の災悪を払い良い年を迎えるため、人形(ひとがた)に来年の願い事等を書いて十二月二十日までに鞆前神社に送ると十二月三十日の大祓祭でお祓いをすることとなっています。町外からの申し込みも多いと聞きました。懐かしい風習です。

正月の七福神飾り

「佐賀浦」「坂浦」ともに「さか」で同じである

「佐賀浦」「坂浦」ともに「さか」で同じである。「さか」の語源は実は『出雲国風土記』に求められる。『出雲国風土記』には「佐香浜」として登場している。「佐香」に関して風土記は「佐香の河内に百八十神等集ひまして、御厨を立て給ひて酒を醸させ給ひき。即ち百八十日喜燕きて解散けましき。故、佐香といふ」と説明しており明確である。「佐香」は「酒(さけ・さか、例えば酒盛、酒屋、酒田)」に係わるというが、さらに「坂」「境」「栄」「榊」の「さか」にも通じる言葉である。究極は「さかい」にたどり着くのではないかと思う。「酒」を飲むと人は酔い、「境」を越えて、神の世界に迷い込むのである。また「佐香」の地域は秋鹿郡と楯縫郡の「境」でもあることは注目しておきたい。「坂浦」は「佐香郷」の「浦」地域ということになろう。『出雲国風土記』楯縫郡条に「鞆前社」がみえる。但し近世の享保年間の『雲陽誌』には「鞆前社」の名はなく「日御碕大神宮」となっており、古代の「鞆前」の名は忘れ去られていたようである。明治四年に鞆前神社への改名がなされている。問題は古代の「鞆前社」が近世の日御碕、そして現・鞆前神社につながるかどうかである。   

社伝によればかつては海中の大岩(御島)に本殿と拝殿があり、参拝者が潮を汲み、海草を掛け供える掛け松があったという。その後、津波で社殿が流出し、「日御碕大神宮」に合祀したともいう。複雑な歴史の流れを感じる。 近年の海岸改修において分かりにくくなったが、鞆前神社の境内から坂浦の入江を見下ろすと入江がかつては「鞆」のように円弧を描いていたことが観察される。現在の鎮座地はまさに鞆の形をした入江に突き出す「前(さき・先・崎)」であり、「鞆前」そのものであり、古代から連綿と続いた神社と考えて間違いないと思う。境内の小社に供えられた珊瑚礁の欠片が印象的である。(関 和彦)

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浦名 坂浦(佐賀浦)(さかうら)
神社名 鞆前神社
祭神 須佐之男神
天照大御神
所在地 出雲市坂浦町573

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鞆前神社のトンド祭は、神木飾りと七福神飾りにより祝うこととされています。

神社左手の建屋に七福神・竜宮さんを歳徳神の神輿と共に飾り、新年を祝うこととされています。七福神には希望された氏子の女性の着物を着付けることになっており、この一年の健康と五穀豊穣・大漁を祈る、新年の喜びが伝わります。三日の夕方は古いお札を集めて、「火渡し」で焼いて「神流し」を行います。また、この一年の災悪を払い良い年を迎えるため、人形(ひとがた)に来年の願い事等を書いて十二月二十日までに鞆前神社に送ると十二月三十日の大祓祭でお祓いをすることとなっています。町外からの申し込みも多いと聞きました。懐かしい風習です。

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正月の七福神飾り

「佐賀浦」「坂浦」ともに「さか」で同じである

「佐賀浦」「坂浦」ともに「さか」で同じである。「さか」の語源は実は『出雲国風土記』に求められる。『出雲国風土記』には「佐香浜」として登場している。「佐香」に関して風土記は「佐香の河内に百八十神等集ひまして、御厨を立て給ひて酒を醸させ給ひき。即ち百八十日喜燕きて解散けましき。故、佐香といふ」と説明しており明確である。「佐香」は「酒(さけ・さか、例えば酒盛、酒屋、酒田)」に係わるというが、さらに「坂」「境」「栄」「榊」の「さか」にも通じる言葉である。究極は「さかい」にたどり着くのではないかと思う。「酒」を飲むと人は酔い、「境」を越えて、神の世界に迷い込むのである。また「佐香」の地域は秋鹿郡と楯縫郡の「境」でもあることは注目しておきたい。「坂浦」は「佐香郷」の「浦」地域ということになろう。『出雲国風土記』楯縫郡条に「鞆前社」がみえる。但し近世の享保年間の『雲陽誌』には「鞆前社」の名はなく「日御碕大神宮」となっており、古代の「鞆前」の名は忘れ去られていたようである。明治四年に鞆前神社への改名がなされている。問題は古代の「鞆前社」が近世の日御碕、そして現・鞆前神社につながるかどうかである。   

社伝によればかつては海中の大岩(御島)に本殿と拝殿があり、参拝者が潮を汲み、海草を掛け供える掛け松があったという。その後、津波で社殿が流出し、「日御碕大神宮」に合祀したともいう。複雑な歴史の流れを感じる。 近年の海岸改修において分かりにくくなったが、鞆前神社の境内から坂浦の入江を見下ろすと入江がかつては「鞆」のように円弧を描いていたことが観察される。現在の鎮座地はまさに鞆の形をした入江に突き出す「前(さき・先・崎)」であり、「鞆前」そのものであり、古代から連綿と続いた神社と考えて間違いないと思う。境内の小社に供えられた珊瑚礁の欠片が印象的である。(関 和彦)