惣津浦

浦名 惣津浦(僧津浦)(そうづうら)
神社名 明島神社
祭神 海津見命
所在地 松江市美保関町玉結湾内

僧津浦三社大明神  
 湊田(みなとだ)をもるや 僧津(そうづ)のうら風(かぜ)に
             秋(あき)の穂(ほ)浪(なみ)の 靡(なび)くとぞみる

惣津浦
惣津浦

明島神社は、玉結湾口にその沖を見はるかす様に、浮島のような小島に鎮座しています。

 海岸線を走る県道から見下ろすと小島の上に小さな建造物が確認できます。県道から降りて砂浜が見える辺りで防波堤を降りてその小島に登っていくと、その社の中に「明島神社」の額が掲げてあります。

 明島神社の鎮座する小島の中腹に、昭和四十七年頃までは広場があり、旧暦の八月一日の八朔祭りには松江市本庄、鳥取県境港市辺りから素人力士が集まり奉納大相撲が開かれていたとのことです。子供たちも参加し、学用品の賞品等に楽しい祭の日だったのでしょう。今は台風により全ての土砂が流れされて岩場が現れています。 しばらくは、拝殿の中で子供たちが相撲を取っていましたが、それもなくなりました。

 今も、新暦九月一日に例祭は行われており、その前夜八月三十一日に宵宮があります。
 陽が沈むころ砂浜の上がり口から神社まで提灯が掲げられて島全体が浮き上がり、海の遠くに漁火が灯り、とても幻想的な風景です。

 八朔祭りは五穀豊穣を祈願する農耕儀礼が起源であり、航海の守護神が主祭神である明島神社のこの祭りの由来を考えます。神社には、海の守護神の龍を象徴する蛇の置物が伝わっています。神職・自治会長さんに特にお願いして見せて頂きましたが、今にも動き出すようで夢に出てきそうな、聞きしに勝る御神体でした。

 明島神社付近の民家に、今からおよそ二十年前に隕石が落下直撃しています。隕石は長さ二五センチ直径十四センチで、重量は六キロばかりと云うことですが、落下した民家付近には記念モニュメントにレプリカが置いてあり、本物は惣津浦の東側七類港にあるメティオプラザ四階で展示されています。宇宙の旅人である隕石が、二階建ての民家の瓦から床下まで貫通して怪我人もなく、隕石も壊れることなく保存されていると言うのは、奇跡的と云うほかありません。

「僧津」は『雲陽誌』によれば片江浦項で「この浦に僧津・玉江といふところあり」とみえるが、片江の東方、むしろ七類に近いところに位置する

「僧津」は『雲陽誌』によれば片江浦項で「この浦に僧津・玉江といふところあり」とみえるが、片江の東方、むしろ七類に近いところに位置する。人々の生活は片江よりも七類との関係が深い。現在は「惣津」と書く。明島神社(祭神は『神国島根』によれば海津見命)、読みは字名から推して「めいじま」神社である。現在は陸とつながるが「明島」とあるようにかつては島に鎮座の神社であったと思われる。現在は質留比神社の境内社とされているが、社殿は存続している。尚、祭神は海津見命である。 

但し、四十二浦巡り時代の「三社大明神」に関しては情報もなく、明島神社との関係も白紙である。今後の課題であるが、明島神社の海岸沿い南方に「山神」の字名が残っている。他に惣津地域に神社関係の地名はみえない。地元の伝承では字・西岩屋に洞窟があり、そこに三穂躰地主神が祭られていたという。(関 和彦)

浦名 惣津浦(僧津浦)(そうづうら)
神社名 明島神社
祭神 海津見命
所在地 松江市美保関町玉結湾内

僧津浦三社大明神  
 湊田(みなとだ)をもるや 僧津(そうづ)のうら風(かぜ)に
             秋(あき)の穂(ほ)浪(なみ)の 靡(なび)くとぞみる

現地までのアクセス
浦巡りガイド

明島神社は、玉結湾口にその沖を見はるかす様に、浮島のような小島に鎮座しています。

 海岸線を走る県道から見下ろすと小島の上に小さな建造物が確認できます。県道から降りて砂浜が見える辺りで防波堤を降りてその小島に登っていくと、その社の中に「明島神社」の額が掲げてあります。

 明島神社の鎮座する小島の中腹に、昭和四十七年頃までは広場があり、旧暦の八月一日の八朔祭りには松江市本庄、鳥取県境港市辺りから素人力士が集まり奉納大相撲が開かれていたとのことです。子供たちも参加し、学用品の賞品等に楽しい祭の日だったのでしょう。今は台風により全ての土砂が流れされて岩場が現れています。 しばらくは、拝殿の中で子供たちが相撲を取っていましたが、それもなくなりました。

 今も、新暦九月一日に例祭は行われており、その前夜八月三十一日に宵宮があります。
 陽が沈むころ砂浜の上がり口から神社まで提灯が掲げられて島全体が浮き上がり、海の遠くに漁火が灯り、とても幻想的な風景です。

 八朔祭りは五穀豊穣を祈願する農耕儀礼が起源であり、航海の守護神が主祭神である明島神社のこの祭りの由来を考えます。神社には、海の守護神の龍を象徴する蛇の置物が伝わっています。神職・自治会長さんに特にお願いして見せて頂きましたが、今にも動き出すようで夢に出てきそうな、聞きしに勝る御神体でした。

 明島神社付近の民家に、今からおよそ二十年前に隕石が落下直撃しています。隕石は長さ二五センチ直径十四センチで、重量は六キロばかりと云うことですが、落下した民家付近には記念モニュメントにレプリカが置いてあり、本物は惣津浦の東側七類港にあるメティオプラザ四階で展示されています。宇宙の旅人である隕石が、二階建ての民家の瓦から床下まで貫通して怪我人もなく、隕石も壊れることなく保存されていると言うのは、奇跡的と云うほかありません。

「僧津」は『雲陽誌』によれば片江浦項で「この浦に僧津・玉江といふところあり」とみえるが、片江の東方、むしろ七類に近いところに位置する

「僧津」は『雲陽誌』によれば片江浦項で「この浦に僧津・玉江といふところあり」とみえるが、片江の東方、むしろ七類に近いところに位置する。人々の生活は片江よりも七類との関係が深い。現在は「惣津」と書く。明島神社(祭神は『神国島根』によれば海津見命)、読みは字名から推して「めいじま」神社である。現在は陸とつながるが「明島」とあるようにかつては島に鎮座の神社であったと思われる。現在は質留比神社の境内社とされているが、社殿は存続している。尚、祭神は海津見命である。 

但し、四十二浦巡り時代の「三社大明神」に関しては情報もなく、明島神社との関係も白紙である。今後の課題であるが、明島神社の海岸沿い南方に「山神」の字名が残っている。他に惣津地域に神社関係の地名はみえない。地元の伝承では字・西岩屋に洞窟があり、そこに三穂躰地主神が祭られていたという。(関 和彦)