出雲大社

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浦名 出雲大社※杵築大社(いずもおおやしろ)
神社名 旧社名:杵築大社
現社名:出雲大社
祭神 大国主大神
所在地 出雲市大社町杵築東

杵築大社   
  八重(やえ)雲(ぐも)の 立(た)つや出雲(いづも)の宮(みや)柱(はしら)
                   実(じつ)に太敷(ふとしき)も 幾代(いくよ)経(へ)ぬらん

出雲大社御本殿
神社北側 彰古館 えびす・だいこく像展示

出雲大社は昭和二十八年以来六十年ぶりとなる御遷宮を迎えており、今年御本殿の御修造が終わり、平成二十五年五月十日に御祭神が御仮殿から御本殿に遷座され「平成の大遷宮」本殿遷座祭が行われました。平成二十年四月二十日に仮殿遷座祭がおこなわれて五年ぶりに本殿遷座となりました。

十月は全国的には、神無月ですが、出雲の地は神在月となります。

その神在祭(かみありさい)は、旧暦十月十日の夜に八百万(やおよろず)の神々が到着され、出雲大社の大国主大神さまの元で七日間会議をされます。旧暦のため毎年日程が変わりますが、平成25年の場合は、十一月二十三日(金・祝)午後七時に稲佐の浜をはじまりとして出雲大社への巡行が執り行われます。全国の神々は竜神(海蛇)の先導で海を渡り、この稲佐浜(いなさのはま)に到着されます。稲佐の浜は、出雲大社の神職が海中の塩砂を掻くと言う祭祀を行われ、汐汲みをする場所でもあります。

出雲では神在祭のとき、「神在餅(じんざいもち)」を振舞っていましたが、最近大社町の神門通りに形成された「ごえん横丁」等で味わうことが出来ます。

出雲大社境内には、国宝秋野鹿蒔絵手箱、重要文化財の硬玉(ヒスイ)製の勾玉・豊臣秀吉佩刀等が収蔵されている宝物殿(神祜殿の二階)、大小様々な大国様・恵比寿様、スサノオノミコトの像等が展示されている彰古館(御本殿裏手)等があり、参拝に合わせて是非ご覧頂きたいものです。また、出雲大社周辺には、出雲大社神祜殿(宝物殿)付近から東南側に世紀の大発見となった国宝銅鉾、銅鐸等を展示する県立古代出雲歴史博物館があり、その北側を東へ数百メートルの処には、十一月二十三日の古伝新嘗祭の祭事等に使用され、「歯固め」儀式に用いられる「小石」を採取する真名井の清水があり、一般の方も飲用出来ます。また、その近くの命主神社の背後の岩の下からは、江戸時代に銅戈とヒスイの勾玉が出土したと云うことです。
 

出雲大社

四十二浦の「浦巡り」であるにもかかわらずここでは「杵築大社」

稲佐の浜潮汲み

この欄で出雲大社の由緒を述べることはない。四十二浦の「浦巡り」であるにもかかわらずここでは「杵築大社」とする。それは最古の宝永七年の「雲州四十二浦の詠歌」の序文の「八雲の国の大神なれば、杵築神社を初めとして左の浦々の神等を拝み奉りかくなん」とした言葉通りなのかもしれない。文久三年に金崎善平は「杵築浦」との表現を用いている。

なお、四十二浦巡りの始まった当初の頃の杵築大社の祭神は現在と異なり須左之男命であったことは知っておきたい。四十二浦の始まり、その後の展開、衰退を振返り、そしてこれからの再生を考える上で神々の変遷は多くのことを示唆している。(関 和彦)

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浦名 出雲大社※杵築大社(いずもおおやしろ)
神社名 旧社名:杵築大社
現社名:出雲大社
祭神 大国主大神
所在地 出雲市大社町杵築東

杵築大社   
  八重(やえ)雲(ぐも)の 立(た)つや出雲(いづも)の宮(みや)柱(はしら)
                   実(じつ)に太敷(ふとしき)も 幾代(いくよ)経(へ)ぬらん

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浦巡りガイド

出雲大社は昭和二十八年以来六十年ぶりとなる御遷宮を迎えており、今年御本殿の御修造が終わり、平成二十五年五月十日に御祭神が御仮殿から御本殿に遷座され「平成の大遷宮」本殿遷座祭が行われました。平成二十年四月二十日に仮殿遷座祭がおこなわれて五年ぶりに本殿遷座となりました。

十月は全国的には、神無月ですが、出雲の地は神在月となります。

その神在祭(かみありさい)は、旧暦十月十日の夜に八百万(やおよろず)の神々が到着され、出雲大社の大国主大神さまの元で七日間会議をされます。旧暦のため毎年日程が変わりますが、平成25年の場合は、十一月二十三日(金・祝)午後七時に稲佐の浜をはじまりとして出雲大社への巡行が執り行われます。全国の神々は竜神(海蛇)の先導で海を渡り、この稲佐浜(いなさのはま)に到着されます。稲佐の浜は、出雲大社の神職が海中の塩砂を掻くと言う祭祀を行われ、汐汲みをする場所でもあります。

出雲では神在祭のとき、「神在餅(じんざいもち)」を振舞っていましたが、最近大社町の神門通りに形成された「ごえん横丁」等で味わうことが出来ます。

出雲大社境内には、国宝秋野鹿蒔絵手箱、重要文化財の硬玉(ヒスイ)製の勾玉・豊臣秀吉佩刀等が収蔵されている宝物殿(神祜殿の二階)、大小様々な大国様・恵比寿様、スサノオノミコトの像等が展示されている彰古館(御本殿裏手)等があり、参拝に合わせて是非ご覧頂きたいものです。また、出雲大社周辺には、出雲大社神祜殿(宝物殿)付近から東南側に世紀の大発見となった国宝銅鉾、銅鐸等を展示する県立古代出雲歴史博物館があり、その北側を東へ数百メートルの処には、十一月二十三日の古伝新嘗祭の祭事等に使用され、「歯固め」儀式に用いられる「小石」を採取する真名井の清水があり、一般の方も飲用出来ます。また、その近くの命主神社の背後の岩の下からは、江戸時代に銅戈とヒスイの勾玉が出土したと云うことです。
 

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出雲大社御本殿
神社北側 彰古館 えびす・だいこく像展示
稲佐の浜潮汲み

四十二浦の「浦巡り」であるにもかかわらずここでは「杵築大社」

この欄で出雲大社の由緒を述べることはない。四十二浦の「浦巡り」であるにもかかわらずここでは「杵築大社」とする。それは最古の宝永七年の「雲州四十二浦の詠歌」の序文の「八雲の国の大神なれば、杵築神社を初めとして左の浦々の神等を拝み奉りかくなん」とした言葉通りなのかもしれない。文久三年に金崎善平は「杵築浦」との表現を用いている。

なお、四十二浦巡りの始まった当初の頃の杵築大社の祭神は現在と異なり須左之男命であったことは知っておきたい。四十二浦の始まり、その後の展開、衰退を振返り、そしてこれからの再生を考える上で神々の変遷は多くのことを示唆している。(関 和彦)