発足経緯

「四十二浦巡り」の終点とされている一畑寺を事務所として、平成22年3月14日、「島根半島四十二浦巡り再発見研究会」を設立しました。

平成21年7月24日、島根県立図書館(松江市内中原町)で歴史学者関和彦氏(島根県古代文化センタ-客員研究員・当時)の「一畑薬師への旅-四十二浦の浦々-」と題した特別講演会が同館集会室で開催されました。講演会は盛況で終了後も会場を去りがたい感動的なものでした。和四郎の後裔であると挨拶される方もあり、松江市内の七浦巡りを告げる方もありました。

関和彦氏は、平成17年に中公新書から「古代出雲への旅-幕末の旅日記から原風景を読む-」を発表されています。

「古代出雲への旅」は、江戸末期大政奉還の頃に、現在の出雲市平田町に在住した小村和四郎重義が残した「出雲国風土記」片手に美保関から出雲大社までの風土記社を求めた旅日記に基づき関氏が実地踏査された記録です。関氏はこの現代版風土記社参拝の途中で、八束町公民館が平成7年に発行した郷土文芸誌「大根島」第1号に載っていた「出雲四十二浦垢離取歌」に奇跡的に出会われました。

その島根半島の「四十二浦巡りは島根県にとって大きな文化財産であり、浦巡りが復活することを願う」という歴史学者関和彦氏の提案を受けて、研究会設立を検討することとなりました。

また、一畑薬師を点として四十二浦巡りを研究されている大谷めぐみ氏は、島根県立図書館に所蔵されていた平成20年発行の山陰民俗研究(13)に、「島根半島四十二浦巡礼の展開と性格」を発表されていました。大谷氏は「四十二浦巡り」について、「本来的には浦や海岸線を辿ること、浦浦の神に祈念すること自体が重要だったのではないだろうか」とし、また「島根半島沿岸には他界に通じると伝えられる洞窟が複数あり、死・生に関わる信仰の対象となっている。」、そして「四十二の意味、半島各地に残る七浦の汐汲みとの関係、介在した宗教者達の存在、浦の人々の巡礼者に対するとらえ方等の問題は、今後の継続的な研究課題としたい。」と述べておられます。

これらから論議を重ねて、「四十二浦巡り」の復活を提案された関和彦氏に「四十二浦巡り」の研究座長を、大谷めぐみ氏に副座長をお願いし、四十二浦巡りの研究と普及事業を展開することとして「島根半島四十二浦巡り再発見研究会」を平成22314日に設立しました。 

関氏は、「旅」の語源は「賜」ともいわれ、神の賜りものであろうか、その「賜りもの」とは出会いなのであろう、と「古代出雲への旅」をまとめておられます。われわれもこの神々からの賜りものともいえる「島根半島四十二浦巡り」に今新たに現代的脚光を当てて、人の心を思いやるこの信仰習俗を研究し、現代的意味・価値を再発見し、人々に紹介し、地域の発展に貢献することと致しました。